人気ブログランキング | 話題のタグを見る

耳は様子見。

一応耳鼻科行ってきました。 
断定はできないが、おそらくは外耳炎じゃないかということで
とりあえず様子見になって、痛み止めと軟膏もらってきたんだけど・・・・

痛み止めの薬は、いつもお世話になってるロキソニンだった。
本当万能だなぁ、お前さんは(*´-`)








 注意!
 
 この先、ちょっと精神的に病んだ思想が絡むお話が、部分的にあります。

 痛い話、暗い話、病んだ話が嫌な人は ココで回れ右しておいてください。



 


 では、続きは下へ。


















医師の診察が終わったあと、赤外線を当てることになり
「火傷の危険がありますので、左耳のピアス取ってくださいねー」 と言われて外した。


最近は全然付けてなかったのだけれど、左に7つ、右に4つ 穴を開けていて
今日、左耳には 軟骨に2つ、たぶに1つ ボディピがついている。


初めて穴を開けたのは高校1年の時で、最後に開けたのは19のときだったと思う。
耳に穴を開けることについて、親から反対とかは特になかった。
(学校やバイトもあったので、普段は必ず樹脂製の透明なやつを付けてた)


それなりに年数が経っているので、ホール自体が安定しているし
外しても早々のことでは縮んだり塞がることはない。



で、家帰ってきて、外したままにしてたピアスを付け直しているときに
せっかくだから、普段付けてないで放置してたホールにも付けようと思い
ピアスをいくつか引っ張り出してきた。


苦戦の末になんとか通せたのが2つあったけれど、
うち2つは、ほぼ完全に塞がっていた。



別に11個にこだわりがあったわけじゃあないんだけど、
なんとなくもったいないような気がする。

途中までは、ただ ピアスつけたい、という気持ちで開けてたけれど
それより後は、今思うと正直『痛い理由』でしかない。






もともと閉鎖的な部分は強かったけれど、
精神的に不安定になることが多く、マイナス思考の塊で自虐的で
癇癪に近いような症状と(何かにあたったり、壊したりはしなかったけど)、
その年頃の女子によくある『 死にたい病』みたいなのがあった。


その当時、付き合っていた男性はすごく年上だったのだけれど
 「いつ死ぬんじゃないかと不安だ」、とよく心配されるくらいだった。


ただ、両親には迷惑も心配も掛けたくない気持ちが強くて言えなかった事も多いし
そういう部分は一切親に見せてないつもりでいた。
 (親に不満は全くない。むしろ恵まれた家庭だとつくづく思うので、
  それが尚更自分をそうさせたのだと思う。)

もしかしたら、言われてないだけで気づかれていたかもしれないけれど
今更そういう話をすることもないし、聞こうとも思わないので
事実、どうだったかはわからない。



極限まで追い込まれると、
自分の血や、痛みでどうにか自制をきかせてたような時もあった。

よく言われるリストカット症候群は、
自分からは言い出せない何かに対して、助けや救いを求める気持ちがあったり
あくまで自制をきかせるための行為。
本当に死にたいのなら、リストカットである必要は全くないし
どこかに 躊躇う、抗いたい 気持ちがあるからこそ、陥る。


でも、あからさまに傷が残るのも嫌だし、
周りから「軽率」に見られたり、精神が病んでいると思われるのも嫌だったので
ある日、ふと ピアッシングに目が行った。


適度に痛いのが良いんじゃないかと。(別にマゾではない)



・・・自分でいうのもあれだけど、昔から比較的真面目だった。
成績は特別良かったわけでもないけれど、
周りからの目は何かと気にしていたし、ただ正しくあるべきだと思い込んでた気がする。

適度な不真面目が出来なかったので、ずる賢いというか
俗に言う ”要領のイイ奴” というものに憎しみを感じてようにも思うし
正義感の強い真面目で居たって損ばっかりだ、と嫌になることが多かった。



自分だけが知る、罪 みたいな意識がそこに隠れていたのだと思う。
アクセサリーを付けていれば、誰もそうだとは思わないし
きっと言わなければわからない。
(俗に言うV系ファッションが好きだったのも相まって)


一番痛かったのは 軟骨を開けたとき。
打ち所が悪かったのか、貫通しきらなかったせいで
途中まで刺さったピアスを無理やりねじ込む羽目になった


目から火花が飛び出るような、そんなLvじゃ済まないくらい居たかった気もするけれど
何年も経ってしまった今では、それも鈍い記憶になりつつある。


何かと無理がたたって体を壊し、棒に振ってしまった一年を経て
成人後、少しずつ立ち直っていった。



今となってはただ、若かったな・・・とか 痛いコだったんだなぁとしか思えないし
罪の証も、ほろ苦い思い出だったものへ徐々に変わり、
今はただ 何となく気まぐれにオサレを楽しむための手段 のひとつでしかない。



今でも時折、何かと不器用な人間だなぁ、と思うことは多いけれど
ほんの少し大人になって、妥協できる精神が身につき
いい意味で、神経が鈍感になってくれたのかなぁ ・・・なんて思えるようにもなった
そういう部分だけでいうなら、なりたくなかった大人になるのも、悪くはない。



そもそもなんでこんな話を書いたのかというと・・・・

某ニュース番組で、未成年者の自殺についての特集をやっていて
そんなのを横目に観ながら、治療時に外したピアスを付けていたから
なんとなく昔のことをぼんやり思い出したから。


数年で何が変わったのかなんて、さすがに口に出せなければ、書けもしないけれど
少なくとも、不満を抱えてもそんなには病むこともなく生活できているし
あの頃に一線を超えて無くてよかったな、とつくづく感じる。


平凡な日常、平和というものは、なんとありがたいことなのか。


いつかくるであろうその崩壊に脅えながらも
また一日、平和ボケした時間を送れることに、ひっそり感謝しようかな。




とまぁ、長々と書いちゃったけれど そんなお話でした。



今回の記事に関しては、正直ちょっと特殊な内容になってしまったので
コメ不可設定にすることも考えましたが・・・そのまま更新します。
 

所詮個人の解釈で書いてるので、
精神疾患・心理学・医学的知識がそこまで豊富なわけではありません。

おそらく相違云々などはあるかと思われますが、
その手の内容のコメントについては、ここでは差し控えていただくか
非公開にしてから投下していただくようお願いします・x・

  by TokishuRion | 2009-01-19 23:42 | りある日記。

<< 年中食欲の秋。 1 / 18 : 頭痛(という... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE